とても有名になった神戸の冬の風物詩ですが、そもそもルミナリエってなんでしょう。
「ルミナリエ」の語源はイタリア語のIlluminazione Per Feste(祝祭のためのイルミネーション)。ルミナリエ作品はヨーロッパバロック時代(16世紀後半、ルネッサンス末期)に盛んに創られた祭礼、装飾芸術のひとつとして誕生した光の魅力を駆使した建築物を起源としています。光のもつ精神的価値と祝祭性を包含し、現在の形態である電気照明を用いた幻想的な光の彫刻として創作されるに至りました。(公式サイトより)
で、これがどうして神戸で開催されるようになったかというと、ご存知の方も多いように、震災後の神戸復興と鎮魂のためであります。
「神戸ルミナリエ」はイタリアのアートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏と神戸市在住の作品プロデューサー、今岡寛和氏による“光の彫刻作品”です。
「神戸ルミナリエ」は、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めると共に、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年12月に初めて開催され、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に大きな感動と勇気、希望を与えました。
閉幕直後から、市民や各界から継続開催を求める強い声が寄せられ、都市と市民の希望を象徴する神戸の冬の風物詩としての定着を目指すことになりました。(公式サイトより)
元町から入って三宮へ出る、という交通規制が敷かれるのですが、コッソリ途中から入らさせていただきました。逆行はしちゃいけないんだけど、なにしろ普通に稼働している街なので「途中の路地に入らないように!」とかはできないようです。
ちなみに、元町側のスタートから入れば、入り口にある「入り口イルミネーション」も観ることができます。観たかったけど、途中から入ってもとんでもなく混雑していたので諦めました…。
メインストリートを1本入った通りからもチラリと見えて、久しぶりのイルミネーションにいたく感動しました!メインストリートに入ってから、早速撮影。このとき、携帯のカメラに夜景モードがついていることを知りました!(暗闇モードってのもあった)
まずは、光のアーチから。
このアーチが元町から三宮まで続いています。どれくらいの距離かはよく分からないですが、何百メートルかはありました。終着点は「東遊園地」という公園。一般的な遊園地にあるような遊具はありませんが、なぜか遊園地。笑
この終着点には、えらくでっかいイルミネーションがありました。
きれいー!圧倒されました。
光の壁が円を描いて設置されて、その中にドームみたいのがありました。ドームの中には鐘がいくつかつってあって、そこにコインを投げて鐘を鳴らしている人がたくさん。わたしは遠巻きに見ていましたが。
光の壁の円の中に入って空を見上げると、空一面に走っていた電線。これでルミナリエは成り立ってるのですね。CO2削減を国中が目指しているいま、開催者側はどう考えているのかなーと、ちょっと興味がある。
東遊園地にはたくさん屋台が出ていたのですが、その中にひっそりとあったのがこれ。
震災が起こったその時間に止まってしまった、東遊園地に設置されていた時計です。今じゃ女神様にこうやって抱かれているけれど、こうなる前はどの公園にもあるような質素な時計でした。これを見るたびに、震災の日のことを鮮明に思い出します。
ほんとうは、この女神が終着点で着目されるべきなんだと思います。でも、公園の構造とかいろんな大人の事情で、別に触れることなく開催しているのかなと。開催初年度は、この時計に着目していた人はとても多かった。今となっては余裕で写真が取れるような状態ですが。こうやって、歴史は風化していくのだなと、少し悲しい気持ちにもなったり。
ルミナリエはXmasイルミネーションじゃない!丸の内のミレナリオと一緒にしないで!そして、ルミナリエが震災で犠牲になった方々への鎮魂の意味もあるということを、忘れないでほしいです。参加する側も、開催する側も。
ちなみに寄付もつのってます。わたしも100円寄付してきました。
12月14日で今年のルミナリエは終わりました。来年もしこの時期に神戸へ行く機会があったら、是非立ち寄ってみてください。そして、イルミネーションに感動したあとに、時計の女神を訪れてみてください。1995年のまさにその時間、阪神・淡路に大災害が起こり、たくさんの人々が命を落としたのだと、少し振り返ってみてください。
三宮のGAPでセールをやっていたので、ルミナリエにいく前にお買い物をしてきた母とわたしは、新しい服と美しい芸術作品にとーっても満足して家に帰り、母お手製のおでんをビールと一緒においしくいただきました。黙っていてもゴハンが出てくる環境ってすてき。
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